2008/09/11

奈良市政を総括する

秋風を感じる候となりました。
9月9日の定例議会で、奈良明彦市長が正式に引退を表明しました。

奈良市政の総括をしてみます。

奈良氏は上野原町長を5期、合併後の上野原市長を1期勤められ、来年の任期満了で首長として23年目を迎えます。

 町長時代は、上野原工業団地、コモアしおつ住宅団、上野原インターチェンジ、西東京工業団地の完成、帝京科学大学の誘致、新庁舎の建設、行政イントラネットの構築、下水道事業などの基盤整備事業に重点を置いていました。上野原市の発展を図るために欠かせないインフラ整備の時代でした。

 市長時代には、光事業と市立病院の公設民営化の二大事業を敢行しました。光事業は市民が情報通信社会に生きるための、また自治体が未来を創造するための必須のインフラ整備事業です。病院の公設民営化は、他の自治体にとってはめったに真似のできない離れ業です。市民は医療危機の時代を何とか乗り切れる希望を持ちました。奈良市政が打ち出したのは「上野原市の未来構築構想」と言えます。

つまり、上野原の奈良時代!?は、日本の衰退が決定的になる直前に、上野原地域の基盤インフラをほぼ完成させ、平成の大合併政策を利用して、二大事業により上野原市が再浮上のチャンスを掴んだ時代だと言えます。全国の自治体の多くが、未来展望を持つことができずに崩壊をはじめている中で、上野原市だけは両事業によりに明るい近未来が見えてきました。

奈良市政のまちづくりの特長は、民間活力を利用した基盤整備でした。市民の家計や市の財政に負荷をかけない方式です。上野原市の開発は、自治体が責任を持つ第三セクターや土地開発公社、整備公社によるものではなく、民間活力によるまちづくりの歴史でした。夕張市のリゾート開発や大月市が抱えるゆりが丘問題や奥丸田造成宅地、玉穂町の山梨ビジネスパーク、中道町の米倉山ニュータウンなどのように、多額の含み損を抱えるような問題は発生しません。例えば、光事業が遅れても上野原市の負債が増えるのではなく、UBCに責任を持たせる方式です。

奈良市政で問題として残ったのは、長期政権の間に醸成された「閉塞感」です。特に光事業の説明不足は決定的でした。この事業の説明は複雑すぎて、理解をしてもらうのには一人ずつに説明を要します。なぜデジタルかに始まり、再送信同意や合併特例債、ユビキタス時代などの理解を前提にするために時間が足りません。行政の説明責任に限界がありました。そのために、強いリーダーシップによる決断を求めざるを得ませんでした。「閉塞感」は時代がブレークスルーする時によく発生する現象です。光事業の進展と共に、上野原市民の「閉塞感」は徐々に払拭されるはずです。同時に上野原市民は、通信情報社会の恩恵を享受しながら、新しい社会づくりの扉を開きはじめます。

次期市長は、奈良市長の始めた二大事業を完成する役割を負います。光事業は光活用を、病院事業は病棟問題と小児科、産婦人科の医師問題を解決すべきです。政治空白や市政の逆戻りが許される時代ではありません。
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