今年の4月から上野原市の光敷設の完成を待って、UBCのCATV事業がスタートすることになっていた。しかし、青ビラ派の反対で光ケーブルの敷設ができなかった。その後、総務省は7月末まで事業延長を了解し、さらに7月末には来年の3月末まで待ってくれることになった。多くの市民は、総務省が2度の事業延長など甘い考えを許すはずはないと思っていた。
よく考えると、上野原市の光事業は、総務省が国策として推進するU.JAPAN政策そのものに乗った事業である。さらに、総務省にとっては、合併特例債を箱物や長物に使われるよりも歓迎すべき事業でもあることが想像できる。その上に、民間活力の地場企業がチームをつくりリスクを負担し、行政と協働し国策に即応した。上野原市の地域力は、地方の時代のさきがけに位置すると評価されてもよい。
総務省の意図と上野原市の光事業には同質の価値感が存在するように思われる。総務省にとっては上野原市の光事業は、今後の政策展開に必要とされるものなのだ。
総務省は4月過ぎには、反対運動を考慮して事業認可を不採択にする雰囲気を持っていた。反対運動に国会議員や地方議員が動いたことも影響がある。
しかし、総務省は上野原市の反対運動の推移をよく観察していた。7月末前の時点で反対運動がピークになったことを認識していたのではなかろうか。
事実として、反対運動は市民が光事業の理解を深めて行くのにつれてヒステリックになり、市民の反感を買い折込紙は読まずに捨てられた。行政当局が電柱地権者に説明を徹底したころから急激に失速した。